ASUKA Yazawa
【狛江高校】wannabe / 泡(2015 Primevere)
更新日:2020年8月24日
こんにちは!
ASUKA です〜
昨日から 始めたこのBLOG。
無理ない程度に グングン 記事を増やしたい 思いで、
今日も PC を開きました。
教育 や こころ については、
もう少し 文献を読んでから 書きたいので……
ひとまず 今日は 狛江高校 の 過去大会作品 を振り返ろう と思います。
なんだけど!
過去作品 振り返る前に、
「狛江高校?」と なってる人も いるかもしれないので……!
狛江高校 とは 東京都 の 公立学校です。
私は 長年 ここで ダンス部 コーチ を務めています。
私は この高校 に 通い、
卒業後 すぐ 高校時代 同部活で チームメイトだった TOMOKO と共に、
部活動指導 を 開始。
2年ほど前から 新たに OG をコーチとして 迎え、
今は 3人体制 で ダンス部指導に あたっています。
そして これは 余談(?)ですが、
今年度から「部活動指導員」という 都の職員 になりましたっ。
私が 今年度からなった のではなくて、
「部活動指導員」という 役の人が「都の職員」という 位置づけになった ということです。
これは 少し 教育関連 の話になってしまうかもですが、
「部活動指導員 として 働きたい」という声も 聞くので 少し 書きますね。
大きく 変わったことは、
顧問の先生 の 負担 を 減らせるような 立場になった ということ。
だから 責任 も 増えて、
その分 できることも 増えたんですね〜
例えば 大会引率 が 部活動指導員 だけでも 可能になった とか。
立場的には 非常勤講師 と同じような 感じでしょうか?
実際には 今まで 私たち部活動指導員が「実技指導」を、
顧問の先生たちが「教育指導 や 事務対応」をしてくださってたので、
その役割分担 が 安定していて、
現状 大きな変化 はない状態 ではあるかも。
(多少の変化 は あるんだけどね)
「部活動顧問 をしたい!」という夢も 聞くことも よくあるけど、
授業 も 担任 も 持つような 学校の先生たち には、
少なからず 負担 が かかってしまう という事実 もあり。
もしかすると 今後 将来的には「部活動指導員」っていう 職種も、
「学校教諭」みたいに 確立 してくるかもしれないよね。
今年度は そのトライ なのかもしれないし。
詳しいこと は もう少し 調べないと わからないので、
もし 山盛り わかるようなことがあれば、
改めて 記事を書きたい と 思いますー!
前振り が 長くなってしまったけど!
過去作品 について 書くね。😂
今回は 2015年冬 高校1年生チーム「Primevere」の、
「wannabe」という 作品 について 書きたいと思います。
わおおおおおおおおおおおおお
書いてて 驚いたけど 意外と まだ5年前 なんだね〜
すごい 昔のことのよう。
この「wannabe」は「人の心 を 持ち始めた アンドロイド」というテーマで、
(なんか 文字で表すと 怪しすぎ🤣)
私が 狛江のみんなと 初めて 賞を獲った 思入れ深い 作品です。
しかも こちら 優勝 を 獲ったんです〜!!!!!
そう、
初めての賞 が 優勝 でした……!
本当に 信じられないくらい 嬉しかった ことを 今でも 覚えてる。
(そして このPrimevere は 1年後 TOMOKOの作品 でも 関東大会にて 優勝)
だけどね、
私 この大会 別件仕事があり、
立ち会えなかったのです〜……
悲しーーーーーーーーーーー
でも 仕事終わり見た LINEが この 優勝のお知らせ。
嬉しくて 最高な1日 でした。
実は これが YouTube に 上がっておらず……
動画 を 掲載できないのですが。
(狛江高校 は 肖像権に配慮して 基本的には 個人的な動画掲載は NG)
もしよかったら、
写真が載っている Dance Stadium 新人戦大会結果報告サイト を 見てみてください。
この作品 は おそらく 過去最短で 作ったものでした。
普段 大体 大会作品は 2〜3ヶ月前には 取り掛かれるように するのですが、
当時 2月に向けての作品 を 12月にいよいよ 動き出そう! というところ、
年末のダンスの仕事に 私が 追われてしまい……
狛江高校への指導は ほとんど行けず。
結局 年明け 1月から 急いで 作り始めました。
最初 の 大会本番は 2月中旬だったので およそ 1ヶ月半。
(高校ダンス部 の 大会シーズン には 大体 2・3つの大会 に出ています)
だけども 私が制作するのは 1年生の作品。
ダンスを始めて 1年も満たない人が ほとんどだったような気がします。
そこで 私は 経験がある人とない人との差を できるだけ 埋められるような、
それでいて 「このレベルが限界かな」など の妥協を、
1つもしない という 強い思いで 制作を 始めました。
気づくと 私は 39人(当時1年生部員数)での1枚絵 を ひたすら 整理していました。
つまり「群舞で魅せる」究極 を 突き詰めていたのです。
これは 当時 自覚はありませんでしたが、
後に 狛江高校ダンス部は「揃えること に長けている」と、
特徴として 言われるようになりました。
振り返ると、
私としては この頃から そこを突き詰めていたのだろうなぁ と感じています。
何故 私が 1枚絵を整理するようになったか というと、
私自身が プロダンサー と共に 仕事をする機会が 大幅に増えた ことが 大きな理由です。
当時 私は 大学生で、
その中で ダンスの仕事も させていただいていました。
だから どの現場も まだ 新鮮なことばかりで 刺激的で。
プロダンサーたちは 短期間で 完成度の高いものを 提供しなければなりません。
そこでの 振付師 や それを体現する ダンサーの、
限られた時間の中で 今できるもので だけど 妥協をせず 仕上げる、
その 気持ち や 姿勢 に大きく 感化されました。
今まで 部員たちとは 高校生として 関わっていましたが、
これを機に 彼女たちにも 同じダンサーとして プロ意識 を求めるようになったのです。
「やるからには 最高のものを作ろう」
決して 第1目標は「入賞」では ありませんでした。
とにかく 私たちの中での最高 を 目指しました。
そこに 結果がついてきたのです。
正直 相当 心構えや向き合う姿勢など 精神的な面での注意を しました。
相当 細かな ダンスの修正 もしました。
でも とにかく みんなと 向き合った。
そして みんなと 作品とも 向き合ってた。
この作品は 私と部員たちの心を 育ててくれたなぁ と思う。
その後 彼女たちとは 高校2年の夏に「泡」という テーマの作品 を作りました。
無表情で 機械的な 作品だった「wannabe」でしたが、
これは 真逆の超笑顔の 可愛らしい 作品でした。
これも「wannabe」の経験から、
「妥協しない」ということで 新たな挑戦として、
履いてる長靴を 最後に脱いで それを手にはめて 踊るということをしました。🤣
そもそも 振り付けとして 長靴を脱いで 手にはめるのを 全員で合わせるのも難しいし、
手にはめた長靴たちは 手を振り回すたびに まあ 飛んでいく 飛んでいく!🤣
部員たちの 隠れた努力は 計り知れないですが、
無事 振り回しても 長靴は飛ばずに 本番を終えることができました。
(最後まで みんなは ものすごい 緊張してたみたいだけど)
こちらは 出た大会では 入賞できず……
私も みんなも 作品愛が強く、
自信があっただけに 泣くほど ショックでしたが、
みんなは 大学進学後、
他校の子たちに「泡」の話をしてもらえること が多かったようで、
ハッピーは 届いていたことがわかり、
時が経っても ハッピーな思いになったよ!!
という こんな感じでした〜
今の狛江ダンス部が 確立され始めた作品 だったので、
作品の深さ よりも ダンス部員との改革 が印象深い。
青春!
おやすみ!(突然)
ASUKA